▲1967年10・8羽田闘争(北井一夫写真集『過激派の時代』から転載)追悼 非業の死をとげた仲間たち  日本に社会党や共産党をのりこえる新しい革命的左翼の運動が生まれて以来、国家権力の弾圧、カクマルや右翼などの襲撃によって多くの仲間が殺されまし ...

▲革共同三全総を報じる『前進』第104号(1962年10月8日)《本多延嘉書記長追悼の集い(2020年10月25日)での呼びかけ人発言》  本多革共同の真髄は三全総にある 向井拓治 はじめに  本集会の呼びかけ人の向井拓治です。 本日お集りの皆さんにはほんとうにありがとうご ...

本多延嘉革共同書記長追悼の集いへのご参加、ご協力に感謝します 友人・知人の皆さん10月25日の「虐殺死から45年――本多延嘉革共同書記長追悼の集い~~本多延嘉を忘却せず、忘却せしむることなく~~」は、多くの方々のさまざまな意志が集うものとなりました。ほんとうに ...

虐殺死から45年―――本多延嘉書記長追悼の集いの呼びかけ向井拓治 友人・知人の皆さん。 長らくご無沙汰して突然のお便りで失礼します。いかがお過ごしですか。 今年は、本多延嘉書記長がカクマルによって虐殺されてから45年になります。あと5年すると50年を数えます。も ...

中核派トップの死(『蜂起には至らず』第十五章) 小嵐九八郎 本多延嘉さん 一九三四年、東京・神田生まれ。川越高校から早稲田大学第二法学部入学。翌年同大第一文学部に転入。早大新聞の編集長を務め、五八年に中退する。同年、革命的共産主義者同盟の結成に加わり、翌 ...

破壊活動防止法裁判 第三九回公判(昭和五〇年六月二〇日) 本多被告の死 破防法裁判傍聴記 浅田 光輝 前回公判は二月であったが、三月は裁判所の都合で休みになり、つぎの期日は四月一八日に指定されていた。 だが、そのあいだにたいへんなことが起こった。被告団の一 ...

悲しみを力にかえて 陳玉璽君を守る会 川田 泰代 皆さん、こんにちは。きょう本多さんが虐殺された一周年にあたりまして、深く哀悼の辞をささげるとともに、私は、皆さんがこの悲しみを力に変えて頑張ってくださることを祈っています。 で、きょうの舞台(註 日比谷公会 ...

安保闘争の先駆者 砂川町基地反対同盟代表 宮岡 政雄 故人は優れた革命運動家として終始歩み続けられましたが、私が提起をした砂川町の住民が祖先伝来の土地を米軍基地拡張の犠牲にされることに対する反対闘争は、故人が革命運動家として具体的に市民運動に参加するきっ ...

怒りもち決意し武装せよ 沖縄救援センター世話人 古波津 英興  去年、本多さんが亡くなったときに、私たちはいよいよ歴史はここから始まるんだ、ほんとに怒りをもって決意し、精神的に物理的にいよいよ武装しなければならないと思った。内乱、内戟という言葉が、ほんと ...

不惜身命、惜身命 全国狭支連事務局長 石田郁夫 石田です。個人的なことからお話します。ちょうど六〇年代末に、やはりこの日比谷公会堂で革共同の集会があり、そこで本多さんが、ぼくがはじめて沖縄に行きまして沖縄の農民の闘争、たとえばそれは伊江島の不屈のたたかい ...

心は常に同志と共に 石川 一雄 菜の花が咲き、小烏たちが囀り、全ての万物が躍動しつつある今日此頃、革共同同志諸君にありましても益々闘魂を漲らせ、日帝・国家権力打倒に御奮闘、御活動を続けておられる事と存じます。 今日は本多書記長一周忌追悼会に御出席された全 ...

死してなお戦列に 破防法裁判闘争を支える会世話人 丸山 照雄  本多君虐殺の一周忌。正当(しょうとう)命日忌にあたりまして、丁重なるお招きをうけ、私、丸山参上いたしました。  このような場所で多くの言葉を労する必要はないでありましょう。本多君は、六〇年代 ...

武装蜂起の道拓く  三里塚空港反対同盟委員長  戸村一作 本多さんが亡なりましてきょうでまる一年になりますけど、わたくしは、どうして本多さんが、ああいう最期をとげなければならなかったか。こういうことを、たえず、考えつづけてきた。 というのが、本多さんは、 ...

本多延嘉君の死を悼む 破防法裁判闘争を支える会・世話人 去る三月一四日未明、四・ニ八破防法裁判被告本多延嘉君が虐殺された。 法廷闘争が開始されて以米、本多君は一貫して被告団の弁論を指導し、検事、および裁判官に対して、革命家としての衿持を堅持しつつ明晰な論 ...

本多さんの死に瞑う      戸村一作(三里塚芝山連合空港反対同盟委員長) 革共同書記長本多延嘉氏は革命のなかの死であって、マスコミの言う「内ゲバ」では片づけられない重大な意義あるものとして止揚しなければならない。とくに、破防法裁判闘争を闘いつつある本多 ...

死をむだにしないために     後藤昌次郎(四・二八破防法弁渡団) レーニンは、「共産主義における左翼小児病」のなかで、社会革命党(エス・エル)の“革命性”を批判して、つぎのようにいっています。「この党は、われわれマルクス主義者が断固としてしりぞける、あ ...

「死者」に乞われて「教決」を記す 丸山照雄(破防法裁判闘争を支える会・世話人) すでに数年を経た過去のことであるが、防法裁判闘争を支える会の世話人代表として、青山斎場において短い追悼文を読んだことがあった。のちにその文章を手にした本多君が、死についての感 ...

革命への執念のほとばしり      久保井拓三(四・二八破防法被告) まったく考えてもいなかったことが起ってしまった。ただそうとしかいいようがない。 本多さんと私とのかかわりは、破防法裁判を通じての、ほんの四、五年という短いものだった。しかも昨年一月一四 ...

本多君の死を越えて  浅田光輝 (破防法裁判闘争を支える会・世話人) 六五年に日韓条約とベトナム戦争拡大があったすぐあとのころであったと思う。 そのころ若い研究者を集めて現代史研究所というのをやっていた小山弘健さんと私とのあいだで、ニューレフトの諸派が一 ...

本多君には政治の公式論にとどまらない現実洞察の高い論理の力があった             浅田光輝(破防法裁判闘争を支える会・世話人、立正大学教授) 破壊活動防止法にたいする闘いの半ばに、その中心であった本多延嘉君がこのような無惨な形で、われわれの陣列から ...

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