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死をむだにしないために

    後藤昌次郎(四・二八破防法弁渡団)

レーニンは、「共産主義における左翼小児病」のなかで、社会革命党(エス・エル)の“革命性”を批判して、つぎのようにいっています。「この党は、われわれマルクス主義者が断固としてしりぞける、あの個人的テロル、暗殺 をみとめることが、彼らの特別な『革命性』、あるいは『左翼主義』をしめすものであると考えてきた。もちろん、われわれはただ目的にかなったものでないからこそ、個人的テロルをしりぞけてきたのである。」

「目的にかなったものでない」ということばでレーニンは何をいおうとしているのか。革命の目的とは何なのか。これを欠落すれば革命を汚し、おとしめることになるような、そういう目的とは何であるのか。私はつぎのようにいいたい。つぎのように問いたいのであります。いったい、革命のために人間があるのか、それとも、人間のために革命があるのか。このことを腹の底から考えてほしい。

 破防法弾劾弁設団会議に対する革マル派の襲撃事件の直後、私は糾弾集会でこのようにうったえた。

あれから一年、うったえも空しく、本多君の悲報に接する。新恨の極みである。

ふたたび心からうったえる。

「内ゲバ」をやめよ。

本多君の死を真に悼むならば、ただちに「内ゲバ」をやめよ。

本多君の死をむだにしないための、これが唯一の道である。

                 『破防法研究』第22号から転載