ishida
不惜身命、惜身命

全国狭支連事務局長

石田郁夫

石田です。個人的なことからお話します。ちょうど六〇年代末に、やはりこの日比谷公会堂で革共同の集会があり、そこで本多さんが、ぼくがはじめて沖縄に行きまして沖縄の農民の闘争、たとえばそれは伊江島の不屈のたたかいであり、宮古島の農民の暴動闘争の記録など農民の、闘争の報告をしたわけですが、それを読んだ本多さんが、基調報告のなかでそれを引用し、農民がいかに戦闘性を持っているかということの例証として話された。そのことを参加した友人から聞きまして、非常によろこんだ。というのは、一介のもの書きとして、あるべき革命党派のために情況そのもの、沖縄の闘争そのものをなんとか伝えなければならない。沖縄闘争そのものについての取り組みが弱かった革命的左翼がですね、なんとか沖縄の問題について自分の革命綱領のなかに内在してもらいたい、そのための―つの資料となってほしいということがそもそもぼくの沖縄報告をなして来た基本にあったわけです。それを、真直ぐに本多さんが受け止めてくれた。そのことが、その後のぼくの生き方、その後のぼくのものを書く上での大変な支えになっていた、ということをまずお話したいと思います。

で、本多さんは狭山闘争についても、つねに先頭にたってたたかいぬいてこられたわけですけれども、狭山闘争をたたかう者にとってまさに本多さんを悼む道はなにか。やはり、石川さんの奪還をもって、狭山闘争の勝利をもってわれわれは悼もうではないか。そのためには、どうしても石川さんが掲げる闘争の網領を全体の綱領とするその統一戦線、それをつくるためにたたかいぬかなければならない、そういうふうに考えます。われわれは、五・二三へむけてのたたかいのなかで石川さんの提起を充分にかみしめて、胎まれた限界、敗北を突破してゆかなければならない。

 中国の諺(ことわざ)で、「不惜身命、惜身命」、つまりいのちを惜んでいのちを惜まず、という諺があります。つまりこれは、革命と勝利のためには徹底的にいのちを惜んでたたかいつぎ、生きつぎたたかいつぐということ、同時に、たたかいの勝利に必要とあらば命を惜んではならないということです。この観点にたって、ぼくもたたかいぬくことを本多さんの霊に誓いたいと思います。
(『武装』1976年5月号に掲載)