10・8羽田闘争(北井一夫写真集から)Scan03-03-10_021242
         ▲1967年10・8羽田闘争(北井一夫写真集『過激派の時代』から転載)

追悼 非業の死をとげた仲間たち

 日本に社会党や共産党をのりこえる新しい革命的左翼の運動が生まれて以来、国家権力の弾圧、カクマルや右翼などの襲撃によって多くの仲間が殺されました。ここにその四一人の氏名を掲げます。彼ら・彼女らの無念に思いを馳せ、一人ひとりの生と死を決して忘却せず歴史に印すことは、残された者の営みでありましょう。

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樺 美智子(かんば・みちこ)

1960年6月15日 全学連の日米安保反対・国会突入闘争に決起、国会構内で機動隊の警棒の殴打と突きを受けた上に扼殺さる 東京大生 共産主義者同盟書記局員 享年22

和井田史朗(わいだ・しろう)

1965年6月22日、日韓条約調印阻止デモで警察が不当逮捕、右大腿部を骨折させ治療せず勾留、右足切断となり1年以上闘病、翌年7月19日逝去 日本大生 マル学同中核派 享年19 

山﨑博昭(やまざき・ひろあき)

1967年10月8日 佐藤首相のベトナム訪問実力阻止に決起、羽田・弁天橋で装甲車の阻止線を突破、空港突入をめざし機動隊の頭部乱打により撲殺さる 50年後に実兄と大手前高校同期生・友人たちが機動隊撲殺を全面的に論証、警察・検察の「学生運転の警備車が轢殺」デマを崩壊させる真相究明を果たす 京都大生 マル学同中核派 享年18

榎本重之(えのもと・しげゆき)

1968年4月1日 王子野戦病院開設阻止のたたかいに参加、デモのなかで転倒、機動隊の暴行を受け翌日逝去 会社員・北区区民 享年36

望月上史(もちづき・じょうじ)

1969年7月25日 党内闘争でブント関東派に塩見孝也ら3人とともに中央大学に拉致監禁(7月6日)、脱出を試み墜落・危篤、9月25日逝去 同志社大生 赤軍派 享年22

滝沢紀昭(たきざわ・のりあき)

1969年9月18日 日本共産党の告訴による警察の指名手配下で活動を続け、芝工大大宮校舎バリケード内で仮眠中、反戦連合の襲撃を受け2階から転落死 他に一人重態、二人重傷 埼玉大経済学部自治会委員長 全学連中執 マル学同中核派 享年25

津本忠雄(つもと・ただお)

1969年9月21日 京大時計台死守戦と呼応した京都市内デモに決起、権力の悪逆非道な仕打ちで火炎びんにより全身大ヤケドの重傷、入院治療中の10月1日逝去、富山県高岡高校で反戦高協を結成 関西大生 マル学同中核派 享年20

糟谷孝幸(かすや・たかゆき)

1969年11月13日 大阪扇町での佐藤首相訪米阻止闘争で逮捕時に機動隊の警棒乱打の集団リンチを受け頭蓋骨骨折、治療されず取り調べ中に意識不明、翌14日逝去、虐殺さる 岡山大生 プロレタリア学生同盟 享年21

中村克己(なかむら・かつみ)

1970年2月25日 日大全共闘三〇余人と文理学部闘争委員会のビラまき中を石、木刀、鉄パイプ、ドスで武装した体育会系右翼三〇人の襲撃を受け重傷 生へのたたかいの末、3月2日逝去、虐殺さる 日大全共闘 ML同盟 享年22

柴野春彦(しばの・はるひこ)

1970年12月18日 東京都板橋区の志村警察署上赤塚派出所で警官の無警告の発砲により心臓を二発射抜かれ虐殺さる 他二人も重傷 横浜国大出身 京浜安保共闘 享年24

永田典子(ながた・のりこ)

1971年11月14日 沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争に決起 国電池袋駅ホームで機動隊の襲撃を受け、機動隊が爆発させた火炎びんの炎を浴びて大火傷を負い、13日間にわたるたたかいの末、27日逝去、虐殺さる 大阪府吹田市立青山台中学校教育労働者 大阪北摂地区反戦青年委員会 享年27

辻 敏明(つじ・としあき)

1971年12月4日 関西大学費闘争の最中、同大千里山キャンパスでカクマル白色テロ部隊と激突 正田三郎と二人が集中的に鉄パイプで殴打、虐殺さる 京都大生 マル学同中核派副委員長 享年22

正田三郎(しょうだ・さぶろう)

1971年12月4日 関西大学費闘争の最中、同千里山キャンパスでカクマル白色テロ部隊と激突 辻敏明と二人が集中的に鉄パイプで殴打、虐殺さる 同志社大生 マル学同中核派 享年23 

武藤一郎(むとう・いちろう)

1971年12月15日 三重大構内でビラまき中を東海カクマルの白色襲撃を受け、虐殺さる 三重大出身 革共同三重県委員長 享年28 

奥平剛士(おくだいら・つよし)

1972年5月30日 安田安之、岡本公三とともにPFLP(パレスチナ解放人民戦線)と連携しイスラエルのリッダ(テルアビブ)空港襲撃・銃撃を敢行、死傷者99人(110人ともいわれる)を出す 警備隊に射殺さる 京都大生 京大パルチザン・後の日本赤軍 享年26

安田安之(やすだ・やすゆき)

1972年5月30日 奥平剛士、岡本公三とともにPFLP(パレスチナ解放人民戦線)と連携しイスラエルのリッダ(テルアビブ)空港襲撃・銃撃を敢行、死傷者99人(110人ともいわれる)を出す 手榴弾で自爆 京大パルチザン・後の日本赤軍 京都大生 享年25

川口大三郎(かわぐち・だいざぶろう)

1972年11月8日 早稲田大文学部構内でカクマルに拉致・監禁され、両手首を椅子に針金で縛られタオルで目隠しされ、角材、バット、竹ざおなどで7時間以上残忍な集団リンチを受け虐殺さる 早稲田大生 狭山差別裁判糾弾集会などに参加 享年20

前田友広(まえだ・ともひろ)

1973年11月8日 11・8川口大三郎君虐殺1周年全関西総決起集会後のデモで機動隊の暴行を受け虐殺さる 龍谷大生 全国部落青年戦闘同志会書記次長兼糾弾対策本部長 革共同大阪地区委員長 ペンネーム中岡仁 享年25

前迫勝士(まえさこ・かつし)

1974年5月13日 法政大会戦でカクマルと集団戦、鉄パイプにより虐殺さる 都職 東京東部地区委員長 享年37

高橋範行(たかはし・のりゆき)

1974年9月10日 狭山闘争に決起しようとする朝、カクマルの襲撃を受け危篤、6日後の16日逝去 全逓東京中郵分会役員 革共同東京中部地区委員会 享年25

中山久夫(なかやま・ひさお)

1974年9月24日 大阪府守口市で9月狭山決戦の上京バス交渉中、カクマルの襲撃で頭部を狙われ重態 10月6日病院で逝去 大坂市大生 関西部落研指導部 享年25

佐藤和男(さとう・かずお)

1974年10月15日 革共同政治集会の帰途、東京都新宿区でカクマルの鉄パイプ襲撃を受け虐殺さる 全逓労働者 神奈川県反戦 享年23

本多延嘉(ほんだ・のぶよし)

1975年3月14日 二重対峙・対カクマル戦を陣頭指揮 埼玉県川口市で手斧、ナタ、ハンマー、鉄パイプなどで武装したカクマル白色テロ部隊十数人による虐殺目的の襲撃を受け防戦、手斧やナタで頭部を割られ虐殺さる 早稲田大・早大新聞会出身 革共同書記長 享年41 

石井真作(いしい・しんさく)

1975年6月24日 静岡県伊東市でカクマルの襲撃を受け虐殺さる 革労協(社青同解放派)総務委員、同福岡県委員長 九州大出身 享年26

山本道有(やまもと・みちあり)

1975年9月4日 神奈川県横須賀市不入斗(いりやまず)町緑荘で、天皇ヒロヒト訪米阻止をめざして活動中、消火器爆弾の暴発により他の2人とともに死亡 元私鉄労働者 革共同東京西部地区委員会出身 人民革命軍・武装遊撃隊隊員 享年31

◆同アパート階上に住んでいた佐藤みどりさん、けい子ちゃん母子が死亡 

稲葉昌生(いなば・まさお)

1975年9月4日 神奈川県横須賀市不入斗町緑荘で、天皇ヒロヒト訪米阻止をめざして活動中、消火器爆弾の暴発により他の2人とともに死亡 元豊島区役所労働者 革共同東京北部地区委員会出身 人民革命軍・武装遊撃隊隊員 享年29

小松慶子(こまつ・けいこ)

1975年9月4日 神奈川県横須賀市不入斗町緑荘で、天皇ヒロヒト訪米阻止をめざして活動中、消火器爆弾の暴発により他の2人とともに死亡 革共同千葉県委員会出身 人民革命軍・武装遊撃隊隊員 享年27

堀内信孝(ほりうち・のぶたか)

1976年2月21日  静岡大法経短大の自治会選挙活動にカクマルの襲撃を受け猛然と反撃、頭部に集中的攻撃を受け翌朝逝去、虐殺さる 静岡大生 全学連 享年19

山本真三(やまもと・しんぞう)

1976年2月21日 静岡大法経短大の自治会選挙活動にカクマルの襲撃を受け反撃、頭部挫傷・意識不明となり病床での11日間のたたかいの末、逝去、虐殺さる 静岡県職支部青年部長 革共同静岡県委員会 享年26 

橋本秀次郎(はしもと・ひでじろう)

1976年2月25日 埼玉県所沢市で任務遂行中、カクマルの襲撃を受け、頭部のみを狙った集中乱打で頭蓋骨粉砕骨折、危篤、翌26日逝去、虐殺さる 豊島郵便局全逓労働者 マルクス主義青年労働者同盟議長 反戦青年委員会世話人 享年39

笠原正義(かさはら・まさよし)

1977年2月11日 茨城県取手市でカクマルの襲撃を受け鉄パイプで頭部をメッタ打ちされ虐殺さる 東京大出身 革労協(社青同解放派)書記局員、創立以来の実質的最高指導者 ペンネーム中原一 享年36

東山 薫(ひがしやま・かおる)

1977年5月8日 三里塚岩山鉄塔撤去阻止・野戦病院前で機動隊のガス銃水平撃ちの直撃を受け昏倒、2日後の10日、病院で逝去。都立大出身 坂志岡団結小屋常駐、享年27

佐藤満夫(さとう・みつお)

1984年12月22日 ドキュメンタリー映画「山谷(やま)――やられたらやりかえせ」撮影中、右翼暴力団・国粋会金町一家西戸組組員に刺殺さる 映画監督 山谷支援者 享年37

山岡強一(やまおか・きょういち)

1986年1月13日 佐藤監督の遺志を継いでドキュメンタリー映画「山谷(やま)――やられたらやりかえせ」を完成(1985年12月)させた直後、国粋会金町一家金竜組組員に射殺さる 山谷現地闘争委員会 享年45

福島慎一郎(ふくしま・しんいちろう)

1986年1月20日 偽装したカクマル白色テロ部隊の京都大教養部襲撃、鉄パイプの集中的殴打を受け虐殺さる 京都大生 全学連副委員長代行 マル学同中核派 享年25

若宮正則(わかみや・まさのり)

1990年11月14日 ペルーのゲリラ闘争に合流しようとしたと推測されるが、ゲリラ組織センデロ・ルミノソに刺殺さる 釜ヶ崎赤軍兵士 享年45

竹森昌伸(たけもり・まさのぶ)

1973年1月19日 東京都池袋の前進社近くの喫茶店でカクマルの鉄パイプ襲撃を受け頭蓋骨陥没の重傷、頭蓋骨3分の2がプラスチック 闘病生活中の1993年3月6日、胃がんと20年前の傷の後遺症で逝去 早稲田大・早大新聞会出身 革共同中央労働者組織委員会 享年56 

星野文昭(ほしの・ふみあき)

2019年5月30日 東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で医療条件と病態を無視した肝臓がん手術強行の2日後逝去 1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争の先頭に立ち事後逮捕、何の物証もなしに階級的報復としての無期懲役刑、獄中44年 高崎経済大出身 マル学同中核派 享年73

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由比忠之進(ゆい・ちゅうのしん)

1967年11月11日 佐藤首相の訪米に抗議し、首相官邸前で焼身自殺、翌日逝去 エスペランチスト 享年73

三ノ宮文男(さんのみや・ふみお)

1971年10月1日 「空港を、この地にもってきたものをにくむ」「三里塚空港粉砕ノ最後まで、三里塚に生きつづけてください」との遺書をもって抗議自殺 三里塚芝山連合空港反対同盟・青年行動隊 享年22

船本洲治(ふなもと・しゅうじ)

1975年6月25日 沖縄米軍嘉手納基地第2ゲート前で「皇太子訪沖阻止」を叫び焼身自殺 広島大出身、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎で寄せ場解放闘争に身を投じる 享年29

 

2020年10月25日 虐殺死から45年――本多延嘉革共同書記長を追悼する集い

※誤りなきを期しましたが、もし欠落や誤記がありましたらご指摘ください。